三つの果
今年で私も野球をやっている子の保護者歴が10年となった・・・
末っ子の光記が8歳なので、これから野球を辞めずに高校まで続けたとして、これからあと10年あるので20年ものキャリアを積むことになる・・・(笑)
もうそうなると長老の領域・・・(笑 )
これまでの10年を振り返ると、時代とともに世間の野球に対しての考え方などが大きく変化した様に、自分自身も子供達への野球に対しての考え方や見方が変わった・・・
その変化に関しては、自分の中で大きく三期に分けることができる・・・
長男に対しては『結果』を求めていた時代・・・
長女に対しては『因果』を求めていた時代・・・
そして現在・・・
光記に対しては『成果』を求めている様な気がする・・・
この三つのものはこうやって書くと別のものだと捉えがち・・・
実際に私もそうだと思っていた・・・
だけど・・・
よく考えると点ではなく線で繋がっているということじゃないかと・・・
長男に関しては、プレーに対して起きた現象だけを求め評価する傾向にあった。
長女に関しては、プレーに対して起きた現象についての原因を求める傾向にあった。
現在・・・
光記に対しては・・・
おきた現象には必ず原因があって、その原因によって得たものは何かを求め評価する傾向にある・・・
つまり・・・
『結果』→『因果』→『成果』
今なぜ光記に『成果』まで伝える様になったのかというと・・・
以前行われたOP戦で低学年試合が行われた・・・
その際に1塁にランナーがいて、そのランナーがスタートを切るタイミングが遅くて盗塁成功が厳しいと思った・・・
その時に光記がタイミングが遅れて空振りをして、その空振りをすることで捕手がファンブルして結果的に盗塁が成功となった。
私はてっきり盗塁をフォローするために、わざとタイミングを遅らせて空振りしたんだと思って、試合後にそのことで光記を褒めた・・・
すると・・・
光記にはそんな意識は全くなく、ただストライクだった球を打ちに行って振り遅れただけだった・・・
が、しかし・・・
私の勘違いだった事を本人に伝えることによって、この前の新人戦で思わぬ成果を生むことになった・・・
同じシチュエーションでバッターボックスに立った光記・・・
今度は意図的にタイミングをずらして空振りをやった!!
その瞬間、今度は意図的に空振りしたのがわかった!!
結果、盗塁成功・・・
試合後本人に確認すると・・・
「この前パパが言ったたいいっ!!」
「だけん遅く空振りしたばい!!」と言った。
空振りという『結果』→タイミングが遅かったという『因果』→盗塁成功という『成果』
それが成り立った瞬間だった・・・
本人にとってみれば、ただの空振りという『ミス』だと感じている事だったと思う・・・
さらに、タイミングがズレて振ってしまったという、これも『ミス』だと感じていたと思う・・・
が、しかし・・・
勘違いとはいえ・・・
それによっての『成果』を伝えることによって、自分では『ミス』だと思っていたネガティブな出来事が、実は盗塁成功となる鍵だったというポジティブな出来事として本人が捉える・・・
その出来事は、幼い球児記憶の中に成功体験としてインプットされる・・・
結果的にミスという失敗体験が全く正反対の成功体験として学習されることになった。
その学習によって『結果』『因果』『成果』の中の、『因果』の部分だけが一つだけ大きな変化を遂げる・・・
空振りという『結果』→タイミングを遅くしたという『因果』→盗塁成功という『成果』
文字にすると僅かな差だけど、『タイミングが遅かった』から『タイミングを遅くした』という意図が生まれる・・・
この意図こそが『根拠』・・・
この『根拠』が生まれる事によって、ただの個人のスキルから組織による『作戦』に変化する事になる・・・
ただの偶然が根拠がある作戦へ変わった瞬間だった・・・
言い換えれば・・・
小学校2年生の光記がチームの一員として機能したという瞬間・・・
これは全く正反対のこともある・・・
自分では成功体験だと思っていることでも、実はミスだったということも学習できる。
その正反対の体験からも『根拠』というものを学習できる・・・
この『成果』まできちんと伝える事が、これからの野球生活において大きな引き出しとなり、プレーの幅の広さと厚みを増すことになると思う・・・
普段は親が子供を育てていると思っている・・・
しかし、実は親が育ててもらっていると実感する・・・
そんな意味で・・・
長男にも長女に、親としていい経験をさせてもらっているんだなとつくづく思う。
もしかしたら・・・
知らず知らずのうちに・・・
子供たちからも・・・
親として・・・
結果→因果→成果
の、評価をされているのかもしれない・・・
この査定・・・
怖わ〜〜〜(笑)
査定結果は私が棺桶に入ったあとに言ってくれ・・・(笑)