関東や関西などの都市圏では、知り合ってまもない方に出身大学を尋ねる風潮があるが、我が県では大学ではなく出身の高校を尋ねる風潮が強い・・・
その理由はよくわからないが、出身高校に対しての思いが強い県民性で、高校のOB会などの結束が強く、県下でも1・2番を争う規模の祭りでも、高校のOBの団体が数多く存在しているほど。
そんな、出身高校がステータスとなる風潮の我が県であるが、やっぱり私も同じであり自分の母校への思い入れが強く、新聞や報道などで母校の話題が上がると、すぐに目がいってしまう。
その私の母校であるが、過去に甲子園に出場した経験があり、負けはしたものの当時強豪校であったPL学園相手に、僅差勝負を繰り広げたこともある。
その後、甲子園出場から遠ざかっているものの、県内では常に四強以上に入り、夏の選手権の県予選で3年連続で準優勝するなど、甲子園出場も時間の問題だと言われていたが、ここ4〜5年ほどベスト16程で低迷し、私も近年悔しい思いをしている・・・
巧大が中学生のころ・・・
私の母校が、まさに甲子園出場は秒読みと言われていた時代で、巧大本人もこの高校に進学し甲子園を目指すという選択肢を持っていた。
そして、私自身も巧大が自分の母校で甲子園を目指す事を望んでいた・・・
そして、巧大が中学3年生となり・・・
ありがたいことにこの高校からお話をいただいたものの、熊本地震が発生し自宅が大破し、当時地震に対しての支援の見通しが全く立たず、サラリーマンである私にとって、寮の費用やその他の費用を合わせ月10万以上を捻出する事は、当時の被害状況では考えられず、経済的な事情という大人の都合で、巧大は実際に卒業した高校へと進学した・・・
その進学先となった高校は、過去に春季大会で一度優勝した経験があるものの、当時はベスト16やベスト8止まりの中堅高校だった・・・
巧大の中学時代の同級生の選手たちは、県内外の甲子園出場圏内の強豪校へと進学しており、当時の巧大の心境は、自分だけ取り残された様な気持ちになっていたと思う・・・
そんな時・・・
巧大のそんな気持ちがわかる、私にとってとてもショックな出来事が起きた・・・
練習後に自転車に乗って帰ってくる巧大の姿・・・
初めのうちは気づかなかった・・・
自転車のカゴに大きな野球バック入れて帰ってくるのだが、そのバックを必ず裏向きに乗せていた・・・
ある日、その事を巧大に尋ねた・・・
それに対して巧大が答えた内容が、胸を強く締め付けられる答えだった・・・
その理由とは・・・
バックの面にすると、高校名が書いてあるので〇〇高校の野球部ってバレるからと・・・
もともと・・・
大人の事情で巧大が希望する高校に行かせてあげれなかったという罪悪感があったのだが、これを巧大の口から聞いた時に、言葉では形容し難い何とも言えない気持ちになった・・・
そして・・・
ちょうど、その頃・・・
地震に対しての支援内容も見えてきた頃で、自宅も解体せずに修理をすれば住める状況であることもわかったし、その修理に関しても地震保険や家財保険内で、なんとか賄える事がわかった時期であった。
当初、新築でも何千万単位・・・
そして修理するにも1000万はかかるだろう見積もっていた部分が払拭され、余計に、思い切って私の母校へ進学させてあげればよかったと、悔やんでも悔やみきれないほどの後悔をした・・・
しかし・・・
救いとなったのは、秋季大会の県大会で優勝したことだった・・・
すると・・・
高校が特定されてしまうのが嫌で、隠すように持ち歩いていた野球バック・・・
そのバックだけではなく、スクールカラーのアンダーシャツなども、そのまま着て帰ってくるようになり、最後の方には、この高校でよかったと言えるようになっていった・・・
結果的に優勝をすることで自信がもてた・・・
それを掘り下げると、当時注目もされていなかった中堅高校がそこまで上り詰めることができたというのは、日々の厳しい練習に耐えたからこそ・・・
そんな厳しい練習と、心が折れるほどのチーム内の競争に耐えてきたからこそ・・・
突然だけど・・・
ここで話がぶっ飛ぶ・・・
去年の年末に長女のソフトボール部の看板を作ることになった。
私は役員として、その看板作りに携わることになり、その看板のたたき台を作成した・・・
その看板にチームスローガンを入れることになり、そのスローガンを毎日々考えていた・・・
その時に頭の中に浮かび上がってきたのが、先ほど書いた巧大の出来事だった・・・
現在のソフトボール部員と、当時の巧大の思いが私の中でリンクした・・・
ソフトボール部は、何度も書くが私が高校生ぐらいはまではまだ女子校で、この時代に監督を勤めていたのが現在の校長先生で、県下では敵無しで常に全国大会に出場し、全国で何度も四強以内に入るほどの超強豪校だった。
そんな強豪校が現在は低迷を続けており、近年はずっと県下で四強止まり・・・
私の目に映る選手達は、”どうせ四強止まりのチームだから・・・”と、どこか諦めているというか・・・
”常に優勝を争っている二強の高校よりも自分達は下なんだ・・・”と、思っていると様な・・・
そんな諦めに近い気持ちで、ソフトボールをやっているように見えた・・・
そんな部分が、当時の長男とリンクした・・・
長男達は、甲子園には行けなかったものの秋季大会で県を制覇し、自分達の高校の野球部の立ち位置を確立し、その後は、堂々と自分の高校のユニフォーム着て行動できるようになった。
そして、今は〇〇高校野球部出身だと胸を張って言うことができている。
長女のソフトボール部員達にも、自分が〇〇高校のソフトボール部であるという事に、誇りを持って欲しかった!!
ましてや!!
創部60年以上の長い歴史があり、かつて全国の強豪校として君臨していた実績を持つ、古豪の高校で、今自分達はソフトボールをやっているのだという自覚を持って欲しかった!!
そこで・・・
私があげたチームスローガンは・・・
『〇〇(高校名)PRIDE』
だった。
今は、60年以上の先輩達の功績によるプライドかもしれない・・・
しかし・・・
今現在の選手達自ら結果を出して、本当の意味での自分たちのプライドを、画像のガッツポーズで握りしめている様に、自分の手で握りしめて欲しい!!
そのプライドを手にするためには、巧大達がそうであったように、結果を残さなければならない・・・
その結果を残すためには、その結果に似合うような努力が必要となる。
その今まで積み重ねてきたことがプライドとなると思う。
自分達のため!!
チームのため!!
そして、80周年の歴史のある学校のため!!
あと僅かになったけど、今までの全てをかけて戦って欲しい!!
PRIDEをかけて・・・