輝く選手

バッティングに関してだけど・・・

『打てた』と、『打った』では大きく違う・・・

 

私が中学の頃・・・

公式戦で1本のホームランを打った事がある。

 

それはそれで、私の自慢の一つなのだが・・・

果たして・・・

その私が打ったホームランを何人覚えているだろうか・・・?

 

打った本人である私以外は、ほとんど覚えていないし・・・

覚えているとしたら、当時のチームメイトのごく僅かだろうと思う・・・

 

それはなぜか・・・?

簡単な話で、その1本だけしかホームランを打った事がないからである・・・

もっと言えば・・・

中学時代通算で、ヒットすら数えるほどしか打ててないので、中学時代の私が野球選手としての存在が無いに等しいからである・・・

 

逆に記憶に残っている選手は、どんな選手なのか・・・?

これまた単純明快で、常に活躍した選手だからである・・・

もっと言えば、私がホームランを打った中学時代に限らず、小学校や高校や大学・・・

プロに進んだ選手などの活躍した選手が記憶に残る。

 

スコットランドのことわざで・・・

『愚か者はまぐれあたりを自慢し、賢者はミスショットから多くを学ぶ』という言葉がある。

 

私は、そのホームランをきっかけに、その大会で負けるまで2番手から1番手になった・・・

 

しかし・・・

次の大会では、再び2番手となった・・・

私のホームランは”まぐれ”だったので、その後が続かず次の大会から2番手に落ちただけの話である。

 

つまり・・・

冒頭に書いた・・・

 

”打った”のではなく、”打てた”だけの事であり、スコットランドのことわざで言えば、私はまぐれあたりを喜んだ愚かものであった・・・

 

では・・・

なぜそうなったのか・・・

 

この答えも実に簡単で、そのホームランを打った試合以前もその後も・・・

ミスショットから多くの事を学べていないから、愚かものになってしまったのである。

 

その結果・・・

先ほど書いた・・・

ホームランという”記録”は残ったが、野球選手としての私の”記憶”は残らなかったのである。

 

努力もせずに楽な方ばかりを選び、一瞬の瞬きほどしかない栄光に慢心する様な私など、野球選手として記憶に残るはずがないのだ・・・

 

現に・・・

その大会の記憶について、当時のチームメイトは私が打ったホームランの記憶ではなく、その時に肘を故障して戦列を離れていた4番バッターが、故障していたので優勝できなかったという記憶なのである・・・

 

もう、お気づきだと思うが・・・

そう・・・

私は、その故障した4番バッターの補欠・・・

 

今でも当時のチームメイトと、その話をする時に『その時に俺がホームラン打っただろっ!!』と言うけど、周りは『そういえば、ホームラン打ったね!!』『この時だったっけ?』となる・・・

 

先ほども書いたように・・・

この大会で優勝できなかったのだが、4番が故障をしていたから優勝できなかったという記憶しか残っていない・・・

 

それを聞くと、私は複雑な気持ちなのだが・・・

実際に、その4番は日頃から努力をしていたし、高校に進学すると春の選抜で甲子園の土を踏んだ・・・

 

方や・・・

私は努力もせずに、たまたま打ったホームランに浸っていただけで、そんなまぐれあたりのホームランなんて皆の記憶にあるはずがない・・・

 

要するに・・・

何を言いたいのかというと・・・

 

記憶に残る選手というものは・・・

一瞬の輝きではなく、常に輝いているんだよな・・・

 

じゃ・・・

なんでずっと輝いていれるのか・・・?

 

それは・・・

ずっと輝いていれるだけの努力をしているよ・・・

 

ずっと輝いているやつには、輝くだけのストーリーが存在する・・・

そのストーリーがあるからこそ、人の心を動かしそれが記憶となる・・・

 

私のこんな経験から・・・

我が家の子供達には、記憶に残る選手になって欲しいと思って、これまでやってき

た・・・

 

まぐれあたりを喜ぶ愚か者ではなく・・・

ミスショットから多くを学ぶ賢者になってほしいと思って・・・

 

巧大も・・・

長女も・・・

バッティングに限らず、守備も走塁も野球に関する何もかも・・・

何度も何度も失敗を繰り返してきた・・・

 

光記!!

兄〜にも・・・

〇〇(長女)も・・・

野球を始めてからずっと、光り輝くために苦しんできたし・・・

苦しみや悲しみを一生懸命に磨いて、その輝く光にしてきた!!

光記もずっと、そんな二人を見てきただろ・・・?

 

パパも、中学生当時は人並みに苦しいとか悲しいとか思っていた・・

でも・・・

その4番の苦しみは、パパの何倍も苦しんでいたし悲しい思いをしてんだよな・・・

 

私の様に・・・

たまたま転がり込んできたものを掴んでも、その掴んだものはすぐに泡となって消えていく・・・

しかし・・・

自分から掴みにとったものは、一生消える事はないし光輝き続ける・・・

 

その時に、手の中にある光り輝くものをしっかり見てごらん・・・

それは、かつて自分が味わった苦しみや悲しみが輝いているはずだから・・・

 

これを・・・

我が家の子供達の他に・・・

ある”星の下”に生まれた子にも伝えたい・・・

 

これまでの・・・

苦しみや悲しみが大きかったからこそ・・・

君は輝きが大きいんだよ・・・

 

その証拠に・・・

輝きを失った時の闇の深さは深く・・・

真っ暗闇だっただろ・・・?

 

しかし・・・

その大きな光が差した瞬間・・・

 

闇が深く、足が竦み一歩たりとも動けなかったもの達が、君の大きな強い光のおかげで一斉に動き出しただろ・・・?

 

やり場がないほど、悔しかったと思う・・・

その今まで味わったことが無いほどの悔しさを、記憶の中から消してしまいたいとも思っただろう・・・

 

しかし・・・

その『悔しい』という気持ちは、君に”誇り”があるから悔しいのである・・・

 

君は・・・

その自分が輝き続けてきた事に対する”誇り”を、最後の最後に自他共に知らしめた!!

 

やっぱり君は、大きな強い光を持っているだろ?

 

そんな光を持っていないものは・・・

最後の最後に、そんなストーリーにはならないんだよっ!!

 

だから、逆に・・・

君は・・・

一生、あの日の事を絶対に忘れてはならない・・・

 

おこった出来事は・・・

君にとっての屈辱でも汚点でもない・・・

全く逆で、今まで本当の苦しみを味わいながら、必死に頑張って光り輝き続けた者への、神様からの最高の花道だったんだよっ!!

 

決して・・・

これは慰めではなく・・・

俺の本心であり・・・

これを描くのが、ある意味俺の使命だと感じて書いた・・・

 

本当にお疲れさん・・・


最後に、改めて言う…

君は記憶に残る選手です。