また一つ・・・
過去にも随分書いてきたが、巧大のこれまでの野球人生を支えてきたのは守備だと言っても過言ではない・・・
それを一番わかっているのは本人である・・・
苦しい時でも辛い時でも、守備を支えに積み重ねてきた12年の野球人生・・・
常に追求し・・・
それで確立した自分のスタイルが、安定した守備ではなくアウトを取りにいくという攻撃的な守備が巧大のスタイルとなった。
その分・・・
巧大の守備は独特というか、ざっくり区分けすると広島の菊池選手のスタイルである。
その菊池選手が登場してきた時と同じように、巧大の守備に対して評価が真っ二つだった。
評価に中間がなく・・・
良いか悪いかのどちらかで、評価してくださる方はかなり少数だった・・・
しかし・・・
先ほど書いた、菊池涼介選手がNPBで頭角を表し、ニュータイプのセカンドとして脚光を浴びるようになった頃から、周りの巧大への評価が徐々に変わっていった。
そして・・・
以前だったら叱られていたプレーが、今は逆になぜしなかったのかと、叱られる世の中となった・・・
叱られていたプレーが当たり前のプレーになった。
もちろん、基本あってのもので・・・
学童野球などは、基本的な動きは重要であるし、実際に光記もその基本的な部分を、今時間をかけて学んでいる。
基本はとても大切な事であり、そこの部分を根底から覆しているわけではない。
巧大もそんな大切な時期を経て今の様なスタイルになったのだが、ここに関して早い段階で攻撃的守備に変化していった為、先ほど書いたように批判されることがほとんどだった。
しかし・・・
本人は、この部分を変えようとしなかった。
例え、これが原因で試合に出れないとしても絶対に変えなかった・・・
これを一般的に言うと・・・
指導者の言うことを聞かない選手となるわけで、いい選手か悪い選手かでいえば100%悪い選手となる・・・
それぐらいの覚悟で貫いてきたスタイルである。
ではなぜ?
そんな覚悟までして、貫かなければならなかったのか・・・?
それは・・・
そうでなければ、自分が野球の世界で生き残れなかったからである・・・
もっと、端的に書けば・・・
守備一本で生き残るには、普通の守備では生き残れないし、ただ上手いぐらいでは淘汰されてしまうことを自分でわかっていたからである・・・
ただただ・・・
いつかは自分のスタイルと、指導者の考えや時代が折り合う日が必ず来ると信じて続けていたと思う・・・
高校半ばからバッティングが上向きだし、結果を残すことができて、守備一本で勝負しなくとも良くなったが、そうなっても守備に関して、このスタイルを1mmも変えようとしなかった・・・
そして・・・
冒頭に書いたように、菊池選手によって徐々に時代も動き出し、巧大自身も進学し新たなカテゴリーの野球で、やっと自分のスタイルを評価してもらえる環境になった・・・
そんな過程を経て、現在の巧大がある・・・
なので・・・
守備に関してのこだわりやプライドは、相当なものが巧大にはある・・・
どんなに細かい部分でも自分が納得いかなかったら、そのプレーを『ブサイクな守備』と言って「こんな守備は恥ずかしい」という・・・
私が見ても・・・
周りの野球関係者が見ても、ナイスプレーにしか見えないが、本人がほんの僅かでも納得いっていなければ、その動画などを見ても「ブサイクだなあ〜」という・・・
しかし、それは・・・
今まで大きな犠牲を払ってでも、自分を信じてやってきたものがあるからの事である。
つまり強い信念である。
巧大の頑なに自分を通す強さは並大抵の強さではなく、親である私でも見習わなければいけないと思うほど信念が強い。
こんな部分は、長女も光記も巧大を見習ってほしいと思っている。
長女は終わってしまったけど、光記はこれからが本番である!!
自分がこれだと思った事を早く見つけて、見つけたものを誰にも負けない武器にしなければならない・・・
強い信念を持って前に進んでほしい・・・
なぜ・・・?
今日こんな事を書いたのか・・・
昨日・・・
辰吉丈一郎のインタビュー動画を見た・・・
彼は未だ現役を引退せず、本気で世界チャンピオンになりたいと思い、今でもチャンピオン時代のトレーニングよりも、もっとハードなトレーニングを続けているらしい・・・
周りからの目を一切気にせず、自分の信念を通し続けている姿が、今までの巧大と被って見えた・・・
巧大がいつも言う通り・・・
分かってくれる人が、分かればいい・・・
結果を出した者が正解になる・・・
長女のインターハイの結果に、未だもやもやしていた私が小さく感じた・・・
志を高く持ち・・・
今まで積み重ねた結果が正解なんだよな・・・
巧大と辰吉丈一郎選手のおかげで、やっと吹っ切れたわ・・・
子供から教わった事が・・・
また一つ・・・