爺さんの生き様・・・

以前にも少し触れたが、私祖父である爺さんは終戦直後から沖縄に駐留していた米軍に、大工の腕を見込まれ米軍施設建設に従事していた。

 

爺さんは酒が大好きで酒を飲むと当時の話をするので、当時幼かった私はそんな話を聞くのが面倒臭くてとても嫌だった・・・(笑)

 

しかし・・・

今のウクライナの状況をテレビで目にすると、爺さんが酔っ払って話していた事を思い出す・・・

 

爺さんは・・・

私に戦前や戦時中に、欧米諸国の兵隊は卑劣で卑怯な民族だと教育されていたし、ついこの前まで敵国として殺し合いをしていた相手の支配下に行くのはとても勇気が必要だったし、兄が戦死しており自分の兄弟の命を奪った相手の言いなりにならなければならないという屈辱感など、さまざまな複雑な思いもあったと言っていた・・・

 

しかし・・・

その時に爺さんには、婆さんと結婚しておりひとりの幼い女の子がおり、その家族の生活を守らなければならいという現実があった・・・

 

そして、当時は日本ではなくアメリカであった沖縄へ・・・

沖縄へ行くとさまざまな複雑な思いが吹っ飛んだと言っていた・・・

 

その理由は・・・

アメリカ軍は、爺さんの予想に反してジェントルマンだったらしい・・・

 

そして・・・

アメリカの技術や生産力を目の当たりにした爺さんは、自分がこんな国を相手に戦争をしていたのかと思うと、急に怖くなったし勝てるはずがなかったと思ったらしい・・・

 

そんな話を米兵にすると・・・

米兵が『kamikaze』が、とても怖かったと言っていたらしい・・・

しかし・・・

国を守るため・・・

家族を守るために戦ったと、言っていたらしい・・・

 

その時に、お互いに同じ事を思って戦っていたのだと思ったし、お互いに同じ人間だと思った時に、本当の意味で家族や多くの仲間を奪ったアメリカへの憎しみなどは無くなったと言っていた・・・

 

特に爺さんの性格上・・・

できないことはできないとはっきりいう性格で、自己主張の国であるアメリカ人にとってみれば、逆に爺さんの様な性格は受け入れられやすく、そんな性格の爺さんをリスペクトしてくれて、『japanese carpenter 〇〇(苗字)』と爺さんを呼び、米兵の友人が米軍への支給品であるウイスキーやタバコなどの嗜好品をこっそり、たくさん爺さんに渡してくれていたらしい・・・(笑)

 

この話は爺さんの自慢だった・・・(笑)

 

そんな爺さんの写真が土曜日に出てきた!!

赤い円が爺さん!!

米兵と肩を組んで写っている!!

 

よく米軍の広報が写真を写してくれて、こっそり渡してくれたと言っていたので、その中の一枚だと思う・・・

 

自分の爺さんながら・・・

かっこいいなと思ってしまう・・・

 

決して・・・

顔がイケメンとかのかっこいいではなく・・・

 

父親として・・・

そして、男として・・・

生き方がかっこいいと思う・・・

 

爺さんと同じことをやれと言われても・・・

私には真似できない・・・

家族のために、何年も当時外国であった沖縄で働くということが自分にできるか?と問われれば、私にはできなかったと思う・・・

 

そんな爺さんの家族に対しての思いのおかげで、私の今がある・・・

 

私はまだ・・

父親として・・・

そして、男として・・・

 

まだ・・・

子孫に誇れるものが何もない・・・