♪〜向こうの社会という麓まで、どちらが先に行き着くか?〜♪

昨日仕事が終わり帰宅していると、途中で嫁さんから電話が入り「巧大が会社の飲み会があるので送って欲しいだって!!」とのこと・・・

帰宅すると既に巧大は準備を始めていて、帰宅後10分後程で来た道をまた蜻蛉返り・・・(笑)

 

そんな巧大も就職して2ヶ月ほど経過したが、仕事が楽しいといつも言っている。

上司の方や先輩達も巧大をとても可愛がっていただいているみたいで、昨日はその課長さんからのお誘いを受けての飲み会だったらしい。(笑)

 

1ヶ月ほど前に、仕事での出来事を楽しそうに話していた巧大だったが、急に真面目な顔になり「俺、高校時代は〇〇コーチと部長の事を”何だこいつ?”と思ってたけど、社会に出てみると〇〇コーチや部長が俺に言ってくれていた意味がよくわかる。」と言った・・・

 

それを詳しく尋ねると・・・

巧大が・・・

「俺的には当たり前だと思ってやっている事でも、上司や先輩達が俺をとても褒めてくれる」

「正式な人事を決める時の会議でも、3つの部署の課長が俺を自分の部署に欲しいと言ってくれたらしくて、それを聞いた時に嬉しかった」

「そして、『お前は頑張ればすぐに出世していくタイプだ』と上司に言われた!!」

「でも、よくよく考えると上司や先輩達から褒めらた事の内容のほとんどは、高校時代に〇〇コーチと部長から教えてもらった事とたい・・・」

「高校時代には、もうそれが俺にとって当たり前になってるんで、社会人になった今すごく役に立っている」

と、巧大が言った・・・。

 

まず・・・

この〇〇コーチというのがのちにすずかの女子ソフトボール部の監督としてお世話になった方で、巧大にとっては野球部時代のコーチであり学校生活では担任であったという、巧大にとっては恩師である。

 

前にも書いているが、この〇〇コーチは野球に対しても日常生活においても巧大に対して特に超厳しかった。

それに対して巧大もあの性格なので『違うものは、違う』と、この〇〇コーチに対してはっきり言うので何度となくぶつかり合った!!

本来、高校野球の指導者というのは選手にとって絶対という関係性であり、もちろんこの〇〇コーチも例外ではなくその通りのコーチだった。

しかし、この〇〇コーチと巧大の二人の関係性は特殊というか不思議な関係で、コーチに大変失礼な例えだが、コーチもまだ若く巧大と10歳ほどしか歳が離れていないので兄弟喧嘩の様な感じで、頻繁にやり合うかと思えば次の日には何事もなかった様に笑って過ごすという、高校野球の指導者と選手の関係としてはとても不思議な関係だった・・・(笑)

 

しかし、最近巧大が光記の学童チームのコーチに就任し、その巧大のコーチぶりを見ていると、この〇〇コーチの影響をとても大きく受けているのがわかるし、〇〇コーチの野球観や人生観をリスペクトし大切にしているのが見ていてわかる。

 

そして、もうひとりの恩師は当時の野球部の部長で、この部長も厳しい事で有名な方だが、ある日の練習時にちょっとした行き違いで選手達全員が部長に厳しく叱られたらしい。

 

しかし、巧大はその行き違いとなった理由と誤解を解くために、そのあくる日に誰も意見を言うことができないその怖い部長のところへひとりで乗り込んで、前日の出来事に至った経緯を説明し誤解を解いたことがあったらしい。

その時に部長が巧大に対して「お前みたいな腹が座った奴を、俺はもう10年以上見てない!!」「お前みたいな奴を俺は待っとたんよっ!!」と言ってくれ、それ以来巧大の事を物凄く信頼してくれて可愛がってくれた!!(笑)

 

この部長と〇〇コーチに対してだけは、卒業した今でも巧大が事あるごとに挨拶に行く。

 

そんな〇〇コーチや〇〇部長と巧大の関係性を、当時のチームメイトだけではなく保護者までもが『巧大は〇〇コーチと〇〇部長にものすごく可愛がられている』と言われていて、実際に私は何度もそんな話を聞いた。

 

きちんと筋が通った事であれば、例え相手がどんな立場の人であろうと違うものは違うと正々堂々と胸を張って言うことにより、それが逆に強固な信頼関係となる。

 

その代わりに自分に非があるときは、きちんと非を認めるという素直さが大切である。

もし、当時の巧大がここをきちんとわきまえていなければ、今の〇〇コーチや部長と巧大の関係はなかったと思う・・・

 

昨今・・・

指導者と選手の問題が全国の高校で表面化している・・・

我が県の高校のサッカー部でも全国的に大変な問題に発展した事件が発生したし、県外でも全国区の強豪校で有力選手の退部が相次いでいる。

 

そんな問題と当時の巧大との違いは、指導者と選手の間に血が通っているか否かだと思っている。

 

こんな事を書けば綺麗事の様に聞こえるかもしれない・・・

 

選手の立場とすれば・・・

指導者に対してそんな事をやれば、スタメンから外されるとかベンチから外されるとか・・・

高校生活を棒に振るとか・・・

そんな事を思って、特に高校野球にかけている選手にとっては実際に行動に移せないのが現実だと思う・・・

また、現実に巧大みたいな事をやって、過去にそんな状態になった選手もいるかもしれない・・・

 

しかし・・・

我が子を褒める訳ではないが、巧大はそんな部分を当時全く恐れていなかった。

それは、高校時代だけではなく学童野球の時も、中学野球の時も、社会人野球の時も同じである。

 

巧大が恐れていたのはスタメンやベンチから外される事ではなく、野球人としても人としても正しいことは正しいときちんと伝え、自分の非を認める時は堂々と非を認めるという、自身のスタイルというか信念から、自分が外れる事の方を恐れていたのだと思う・・・

 

これが我が子に対しての、私の素敵な勘違いであるか否かの事実は過去のブログ内容を見ればわかることで、巧大について何も自慢できるところはないが(笑)、この部分に関してだけは我が子ながら大した男だと思っている。(笑)

 

幼少期や若い頃に、グレーの部分ばっかりでやり過ごしてきた人間は社会人としての幅が無く必ずどこかで行き詰まる。

社会はそんな小手先の誤魔化しがきく場所ではない・・・

 

しかし、まだ若さで許される時期に、周りから尖った奴だと思われるぐらい白か黒かの判断をして、それを堂々と皆の前で言う度胸がある奴は、社会に出た時に幅が広い奥行きのある判断ができ、厳しい社会を生き抜く力がある社会人へと成長する・・・

 

なので・・・

大切なのは野球では無く、野球を媒体として何を学ぶかが最も大切だと思う・・・

 

巧大の今があるのは・・・

巧大が主張する白か黒の意見を受け止めてくれ、それを尊重してくれた恩師のお陰だと思う。

恩師が巧大に血の通った遠回りを沢山させてくれたお陰で、高校時代に尖っていた部分が徐々に丸みを帯びて現在は社会を生き抜く知恵となった。

 

現在、上司や先輩達が巧大の事を可愛がってくださるという現状は、高校当時の巧大が指導者に対して正面からぶつかって、そんな巧大を真正面から受け止め真剣に指導してくれた恩師のお陰で、巧大が知恵という引き出しを持ち社会人としての幅と奥行きを手にすることができたお陰だと思う。

 

いつだったか・・・

私が子供の頃に見た絵本の物語と実によく似た話である・・・