共有が生命線・・・

昨日ある方からの電話・・・
しょっちゅう顔を合わせる方ですが、初めて電話がかかってきて、何かあったのかなと思い電話に出ると・・・

その方に、巧大が顔を合わせるなり、生き生きした目で何の前触れもなく突然・・・
「前よりもボールがいくようになりました!!」
「野球が楽しくなってきました!!」と言ったみたいで・・・

「その、巧大の表情と力強くなった言葉の言い回しに、本当に嬉しかったので電話しました!!」と言って、わざわざ電話をかけてきてくださいました。

そしてその方が・・・
「今まで自分でできないと思っていたことが、自分なりに努力して少しづつできるようになってきていること、それをお父さんが認めてあげてください・・・」
「ここ約1年間の巧大の、身体面と精神面の成長を素直に褒めてあげてください・・・」と言われました・・・

そして・・・
「今まで巧大を見てきましたが、今まで一番の笑顔と、今まで一番の綺麗な澄んだ眼をしていました」と・・・

私は、そのお話をお聞きした後に、こんな内容のお電話がかかってきて、私も親として本当に嬉しかったことを巧大に伝え、結果が出なくても諦めずに野球に取り組む姿勢や、言い訳も言わず素直に自分の落ち度を認める、決して逃げない強い精神力が付いてきたことを認めて褒めました。

そして私にも巧大が「体がちっちゃかったり、肩が弱いとずっと言われてきて、少しずつ身長も伸びてきて、足も速くなってきて、そして最近自分でも肩が強くなったことがわかるぐらい、送球するとボールがス~と行くよになった。投げることが楽しくなったら、野球まで楽しくなってきた・・・」と嬉しそうに、話してくれました。

そして・・・
「できなかったことが、できるようになってくると楽しいね・・・」と言ってきたので、私は体の成長や精神的な成長、そして技術的な成長は早い選手と遅い選手がいるから、そんな意味では、成長が早い選手よりも、巧大の場合は成長が遅い分、将来のためにじっくりと準備できる時間が取れたのだと、ポジティブにこのことを捉えるように話し、巧大にとってはこれからのもう少し先が、本当の実力を出せる環境であることを話した・・・

巧大も・・・
「ふふっ・・・」と笑っていた・・・


私は、この方と出会って半年ぐらい経った時ぐらいから、なんとなくあることに気づきました。
それは、自分が球児の父親としてのスタンス間違えていることを・・・

それを自分で気づいているのに、何をどうしていいかわからず、同じ失敗を繰り返してしまう・・・
その、苛立ちが巧大のあらゆる結果に対して、そこだけを突いてしまい本人を追い込み、当然巧大もそれに強い違和感と、年頃でもあり強い反抗心となる・・・
どんどん二人の溝が深まるばかりで・・・

しかし、その方とお会いすると・・・
私も巧大も心の支えというか、その方の顔を見るだけでも安心するというか・・・
そんな気持ちにさせてくださる、私と巧大が共通して癒される存在で・・・

その方のところをおとづれては、その帰りに巧大との二人の会話は、「〇〇さんと会うと安心するね・・・」と合言葉のように・・・

そして、今日こんなアドバイスがあったとか、こんな質問をしてみただとか、その方を通しての野球の話を二人ですると、苛立ちもなくお互いが尊重しあうような会話になり、その時だけは二人の会話が成り立つ・・・

例えると、それまでの巧大と私は別の国の言葉を話していて、お互いの言葉が通じなくて、なんとなく雰囲気でしか、コミュニケーションが取れていなかったのが、そこにその方の国の言葉を巧大も私も覚えて、その言葉が3人の共通言語となり本当の意味で会話が成り立つようになったような感覚で・・・

これが、1年ほど前ぐらいからできるようになったことは、二人にとって本当に大きかった・・・
結果だけでしか、巧大を評価することができなかったのが、その結果をもとに二人で「なぜ」を追求する会話ができるようになった・・・

そして、その「なぜ」をさらに追求し、その先にある「どうしたら」を共有することができるようになった・・・

そこで初めて、自分の息子との「本当の意味での野球」を共有することができたような気がする。

15年間一緒に暮らし、毎日顔を合わせている親子にもかかわらず、野球をやっている息子のことを、何一つ知らなかったし気付こうとしていなかった自分に気づいた・・・

そこに気づいてからは、巧大が試合や練習をしている姿を、直視できるようになった・・・
良いプレーも・・・
ミスも・・・
力不足も・・・
試合に出ている巧大も・・・
ベンチに引っ込んだ巧大も・・・

すべて、今の等身大の彼を見て直視できる・・・

今までは・・・
下手くそが・・・だとか
チームに申し訳ない・・・だとか
試合に使ってもらえなくなる・・・だとか
そんなことばっかりを考えていたのが・・・

今は・・・
巧大に理由を早く聞きたい・・・だとか
動画見ながら、失敗したプレーのモニタリングの巧大の見解を聞きたい・・・だとか
今度は、どうしたらうまくいくかを、早く巧大と話したい・・・だとか

巧大自身が、どう思い、どう行動するか・・・
そして、その部分で自分が手伝えるところはどこなのか・・・
そこを早く聞きたいと思うようになった・・・

あくまでも、『”巧大がやっている野球”を共有する』こと・・・
これが、巧大の野球の進歩への鍵・・・

早い話・・・

親の心配をよそに、怖いものなしで未熟ながらにも、自分で考え自分で判断し、とにかく前へ前へ突っ込もうとすることを親離れというのでしょう・・・

そして・・・
そんな、前へ前へ離れよう離れようとする未熟で危なっかしい我が子を、大きな勇気を持って一歩引いいて見守るのを、子離れというのでしょうね・・・

そのバランスが整えば・・・
まだ中学生といえども、大人の親子関係となるのでしょう・・・

うちの場合は、「野球」という親子の共有物で・・・
子も育ち・・・

そして、恥ずかしながら未熟な私は・・・
「野球」を通して、親として育たせてもらっています・・・

野球だけではなく、親子の在り方や生き方までを、巧大だけではなく私にも教えてくださる〇〇さん・・・

本当にいつも感謝しております・・・