愛を語るにふさわしい人に・・・

私が通っていた中学と同じ中学校に通う、うちの子ども達・・・
子供部屋に無造作に置かれた、長女がもらってきた学校新聞らしきもの・・・
何気に眺めると、懐かしい言葉が書いてあった。

その懐かしい言葉とは学校の校訓だった。

『自立』
『創造』
『友愛』

私が中学生だった頃・・・
事あるごとに、よく唱和させられていたなあ~(笑)
当時は年頃なんで、面倒くせ~と思いながら言っていた。

しかし・・・
この歳になると心に響くなあ・・・

その中でも『友愛』って言葉が特に響いてきた。

その理由とは・・・
友愛の『愛』だけど、随分前に元校長先生だった高齢者の方が、私に話してくれたことがある・・・

それは・・・
『受』という漢字のど真ん中に『心』を入れることで成り立っている漢字が『愛』だと話してくれた・・・

すなわち・・・
心を受け止めるということが『愛』だと・・・

その話を聞いたのは、私が30歳ぐらいの頃だった・・・
その話を聞いた上で・・・
今、この『友愛』を改めて見ると、この言葉の意味の深みが違う・・・

『友の心を、自分のど真ん中で受け止める』という意味になる。

私が中学時代に、なんとなく解釈していた友愛は”友情”に近いものだったけど、友情とは『友の情け』・・・
友愛とは全く異なるものだったと、今は気づかされる・・・

沢山の友を持っている人は、それを受け止める器の大きい人なんだろうと思った・・・

私は、果たして・・・
どれだけの器を持っているのだろう・・・?

そして・・・
友愛だけではなく・・・

家族愛・・・
慈愛・・・
郷土愛・・・
仕事愛・・・
などなど・・・

一体どれだけの心を受け止められているのだろう・・・?

どんなに綺麗事を言おうが・・・
どんなに言い訳がましい事を言おうが・・・
今の現状が自分の器の現状であり、何をどのように言っても現状が結果・・・

チッチェ~なあ~
本当にちっちゃい器だなあ~
お猪口の器だなあ~
俺・・・

今度から、軽々しく『愛』って言葉使えねえ~(泣)

これから先・・・
『愛』という言葉を、堂々と使えるような人生を歩まなければならない!!

私に『愛』という言葉の意味を教えてくださった、元校長先生だった高齢者の方のように、『愛』を語るにふさわしい人間にならないといけないな・・・

高齢ながら、紳士的で本当にかっこいい方だった・・・

今日は・・・
こんな事を考えさせられる一日だった・・・

あっ・・・
今、気付いたけど・・・
『愛妻』の意味を考えるの忘れてた・・・

妻の心を受け止めるどころか・・・
避ける癖がついちゃっているかも・・・(笑)