日頃の行いひとつで人生が変わる・・・

全国ニュースでも、大きく取り上げられていますが、小さな子供に覚醒剤を投与し死亡させるという、痛ましい事件が熊本県でおきました・・・

容疑者として逮捕された犯人の実家は、私が住んでいる隣町で、嫁さんが生まれ育った町でもあります。
そんな身近なところで起きた事件・・・

外国で起きた事件や事故のニュースで、「日本人は含まれておりませんでした」のコメント・・・
日本で流れているニュースですので、そこを伝えるのは当たり前なのですが、見方を変えると自国民と他国民との、同じ命の重さに差をつけているように感じてしまいます。

そして、今回の熊本での事件・・・
場所が身近な場所で起きた事件であるから重く受け止めて・・・
これが遠くで起きた事件で、今回と同じぐらいのショックを受けたか・・・

そんなことを考えると、自分の人としての未熟さを感じてしまいました・・・

こんな重大な事件を犯した容疑者自身は、覚醒剤に手を出してしまうという弱い心の持ち主であったと思います。

人間として、どうしても上手くいかない時や、周りから認めてもらえない時など、辛いこともたくさんあります。

しかし、そういう時に大事なのが、そうなる前までの自分の行いだと思います。
日頃から、自己中心的で自分の利益だけを考え行動する人は、必ず自分が窮地に立たされた時は、その負の重荷を一人で担がなければいけません・・・

しかし、日頃から人の負の重荷を担いであげる人は、自分が負の重荷を担がなければいけなくなった時に、周りの人たちが自分の大きな負の重荷を、少しずつ分けて持ってくれます。

この犯人これまでの人生で、どれだけの自己犠牲を払って周りを助けてきたのか・・・?
もし、人を助けるという行動を取ってきていれば、一人孤独に覚醒剤などに手を出さず、周りからの助けのもとに、人生を狂わせなくて済んだのではないかと思います。

そんな、人としての生き方を幼少の頃から、団体生活の中で学ぶものだと思います。
うちの子供たちの場合は、幼稚園や小学校や中学校などの場所でも学んできましたが、より規律の厳しい野球と出会うことができて、人ととしての生き方や倫理観や道徳的なものなどを学んでいます。

そういう意味では前にも書きましたが、野球というスポーツは自分を殺すことで仲間を生かすという、犠牲バントや犠牲フライなど、人を生かすために自分が犠牲になるという、作戦が存在する数少ないスポーツだと思います。

だからこそ、野球を始める小さい頃から礼節を重んじ、人としてどうあるべきかを徹底的に教え込まれるのだと思います。
実際に、そこをきちんとできる選手じゃないと、不思議なもので野球技術も全く上達しないですものね・・・
私もその一人で、そこをきちんとできなかったからこそ、中学で野球生活が終わってしまいました。

ということは、そこに早く気づいて人間力をアップすることこそが、野球技術の進歩になり、ずば抜けた選手となるのでしょうね・・・

これからも、うちの子供達だけではなく、私も子供達と一緒に野球を通して、人の生き方について学んでいきたいと思います。