情熱はテクニックを超えられる

私は柄に似合わず、ジャズやクラシック音楽が好きで、気分が高揚しているときや、何かの重要な決断を迫られて、悩み事や考え事をするときなどによく聴きます。

その時の気分によって大体聴く曲は決まっているのですが、気分を落ち着かせるときは、バッハの「G線上のマリア」やサティの「ジムノペディ」、ショパンの「別れの曲」などを聴きます。

何かの決断をしなければいけない時などは、エルガーの「威風堂々」や、モーツァルトの「ピアノソナタ第8番イ短調」などをよく聴きます。

テンションを上げたい時などは、やっぱりジャズで、レイチャールズいいですね・・・

私は音楽の勉強をしこともなければ、何かの楽器をしたこともなく、音楽に関しては全くの素人・・・
しかし、目を閉じてその曲を聴けば、その時の自分の気持ち次第で、頭の中に映像が勝手に出てくる・・・
同じ曲を聴いても、その時の気持ち次第で、頭の中に浮かんでくる映像が、不思議と違うんですよね・・・

勿論、今流行りの曲も好きですが、クラシックやジャズには、そんな不思議な魅力が私の中にはあります。

そんな中、今夜地方番組で、熊本で50年以上の歴史を持つ、熊本交響楽団というアマチュアオーケストラの特集が放映されました。

その中で、世界的に有名な指揮者が言った言葉で「人間的な音のズレが、オーケストラ音楽の魅力なんだ」という言葉・・・
そして「今の時代コンピューター技術の向上で、寸分の狂いもなく失敗もない音楽を作るのは簡単なのです。」
しかし「寸分の狂いもなく、音もタイミングもずれない機械でつくった楽曲には、幅がないんだ」ということば・・・

これをもとに考えると、野球選手は野球アンドロイドではいけないということ・・・
求められることだけを、淡々と完璧こなすだけではなく、それ以上の良い意味でのズレを生み出さなければ、野球に幅が生まれないということ・・・

野球は、9回もしくは7回と決められた、お互いに公平に同じ条件で、攻撃と守りをお互いに繰り返し、流れを取り合う、試合という楽曲・・・
人間の人生も同じだと思いますが、人生に幅がなければ楽しくない・・・
野球という楽曲も、幅がなければ楽しくない・・・

そこから行くと、巧大には野球アンドロイドではなく、情熱をもった幅のある野球選手になって欲しいと思う。

結果だけを評価される選手ではなく、テクニックと情熱の両方を評価される、人間臭さがある魅力ある選手になって欲しいと思います。

結果だけではない、魅了するプレイヤーになって欲しい・・・