今日は自己満足の内容・・・
昼休みにネットを眺めていると、たまたま対照的な記事が掲載されていた。
その記事とは、先日行われた春の選抜高校野球関連の記事だったが、ひとつの記事は『考える野球』で効率化的な内容で、もうひとつの記事は『1日1200スイング』という内容だった。
度々、論争になるプロ野球選手の現代の調整方法と、張本さんの”喝”のやりとりと同じ様なもので、エビデンス主義vs精神論主義みたいにして、たびたびマスコミが取り上げることが多い。
突然だけど・・・(笑)
我が家は先祖代々・・・
弘法大師空海が開いた真言宗という宗派の熱心な仏教徒であり、毎朝お勤めと言われるお経を読む・・・
総本山は世界遺産となっている高野山であり、これまでも何度も参拝をさせていただいている。
この真言宗は密教と言われ、詳しく書くとキリが無いのでここには書けないけど、いわゆる目に見えない仏の力的な考えの要素が他の宗派より大きい。
私自身の名前も子供達の名前も、真言宗のお寺さんに頂いているほど・・・
私だけではなく子供達も家族全員が、色々な節目や大事な試合前などにお寺で祈願したりするし、総本山の高野山にも子供達が行きたいと言うので、巧大と長女は2回ほど行ったかな・・・
家族もそんな熱心な仏教徒・・・
しかし、私の日常生活は資本主義の日本で、自由経済のもと需要と供給の世界で高齢者の方々の日常生活を支えるという需要に対して、対価をいただいて生活を行なっている。
結局、何を言いたいのかというと・・・
結果的に極論と言われればそれまでだが、精神世界だけで生きるためには托鉢によってお米をいただき、お供物を食して生きていかなければならないが、現実的にそれで家族を養うということは無理である。
現実は憲法やさまざまな法律に則り、先ほど書いたように資本主義の元で需要と供給で、お金を稼いで生きている。
しかし・・・
憲法や法律やルールといった、位置づけられた形あるものだけでの線引きで生きていこうとすれば、人同士の”お付き合い”というものができない状態になる。
その人と人とのお付き合いや、特に日本人として古来から大切にしてきた倫理観的な部分によって社会の秩序が保たれて世の中は回っている・・・
その倫理観の指針的な部分が宗教や哲学といった部分になるのだけど、これを憲法や法律の様に根拠ある形にすることは難しいし、例え形にしたところで万民が理解できるものではない・・・
私はその目に見えない難しい部分である倫理観や哲学的な部分を、先ほど書いた仏教の中の真言宗という宗教的な教えを、教科書として生きている・・・
あくまでも・・・
私個人の価値観に過ぎないけど、私の倫理観や哲学的な部分は仏教である真言宗をツールとして生きているだけで、クリスチャンの方はキリスト教をツールとして生きているだろうし、イスラム教をツールとして生きていらっしゃる人もいて、カルト宗教や一部の過激派組織などは別としても、ただツールが違うだけで根底にあるのはどの宗教も同じ世界平和だと思っているので、私の中では宗教の違いという垣根はあまり高くない・・・
先ほど書いた様に、憲法や法律などの形ある部分だけで人を縛ろうとしても秩序は保てないし、宗教や哲学だけで人を縛ろうとしても秩序は保てない・・・
要は・・・
科学的根拠と精神的世界のバランス・・・
そこで・・・
真言宗の真髄とも言える法則がある。
身・・・読んで字の如く体であり、行動という意味
口・・・口で言っていることであり、言葉や思考という意味
意・・・思っていることであり、心や意識という意味
この身口意(しんくうい)の法則・・・
昔の私は巧大に対して・・・
口では、毎日みかん箱3杯ティーを打てば、必ず打てる様になる!!と言いながら・・・
意識の中では、どうせ今度の試合でも出れんだろ・・・と、心の中で思い・・・
今日は、仕事で疲れたんでティーじゃなくて、バット振るだけにしようと言って行動しない・・・
そして、その時の巧大の身口意は・・・
毎日、みかん箱3杯ティーやって打てる様になるんだったら、試合に出るやつは全員全打席ヒット打つだろ・・・
まあ・・・1日のノルマ終われば、親父の機嫌は良くなるし・・・と、思いながら・・・
口では、今度の試合で3本以上はヒット打つねっ!!と言い・・・
あと、みかん箱2杯あるんで最後の10球ぐらいをフルスイングする体力を残しとこう・・・
みたいな事を思って、当時自主練をやっていたと思う・・・
それが、私の今の身口意は・・・
小学校2年生で野球を始めてから現在まで、色々な意味で苦しかったことやキツかったことばっかりだったけど、よく今まで諦めずに野球を続けてきた!!
その巧大のおかげで、家族全員が本当に楽しませてもらっている!!
ありがとう・・・
と、心で感謝しながら・・・
スタメンじゃなかろうが行ける試合には、無理矢理仕事を調整してでも行き・・・
ヒットを打てば『ナイスバッティングっ!!』と言うし、いい守備を見せれば『ナイスセカンドっ!!』とも言う。
今の巧大の身口意は・・・
口で、今度の試合で絶対結果残して今年の夏までには、一個上の先輩からセカンドのスタメンとるけん!!といい・・・
絶対、今度の試合で結果残して1年のうちに1番手セカンドになる!!と、心の中で思い・・・
コーチに動画を撮ってもらったり指導者の意見を聞いたりして、原因を徹底的に探りその根拠を元に練習を行い・・・
そして・・・
去年の夏の都市対抗野球には、言った通りスタメンを取った。
この身口意とは習慣化され、無意識に行なっているものであり簡単に一致するものではない・・・
バッティングの体の開きを無くすと口で言っても、習慣化された体の開きがなかなか治らないのと一緒・・・
じゃあ・・・
どうやって身口意を一致させていくのか・・・
それは・・・
無意識に意識を持つこと・・・
巧大にとっての無意識に意識を持つ方法は、動画を使った記録を残した事だった・・・
記録を残すことによって、習慣化し自分で気づくことが難しい無意識を地道に意識に変えていく・・・
これを・・・
冒頭に書いたネットの記事に当てはめると・・・
『考える野球』は、口である言葉や”思考”の部分である・・・
そして、『1日1200スイング』は、身である行動である・・・
そこに、意である意識が選手達にあったからこそ、今回春の選抜という夢の舞台に立つことができたのだと思う・・・
したがって・・・
エビデンスという科学的根拠と精神論で対立しがちの論争は・・・
どちらが正解で間違いかというものではなくどちらも正解であり、そこに本人の意識があるのか否かを論じるのが正解となる・・・
私の悪い癖でダラダラ書いてきたけど・・・
私が最近このブログに書き残していた部分に、昼休みに見た二つの記事が答えを出せと訴えかけてきているようで、ついつい今日は熱くなったしまった・・・(笑)
でも・・・
今日の記事を書きながら思ったけど・・・
口では、毎日お経を読み御真言を唱え・・・
お寺へ行き、長数珠をもち拝み・・・
しかし・・・意識していた身口意がやがて無意識になっていた・・・
だから・・・
今頃になって気づく・・・
あと・・・巧大が小学校高学年だった7年〜8年前に気づけばよかったなあ・・・
口ばかりの信仰だった・・・
まだまだ修行が足りない・・・