爺さんの生きた道

私の爺さん(祖父)が亡くなって15年ほど過ぎた・・・

爺さんの若い頃は戦時中で、外地には行かず内地で通信兵をやっていたと聞いている。

当時熊本に本拠地を置く第6師団は勇敢で恐れを知らない師団として有名だったらしく、うちの爺さんが酒を飲んで酔っ払うと、すぐこの話になって何度も同じ話をするので、まだ子供だった私は苦痛で仕方なかった・・・(笑)

 

戦前から大工であり、金釘を一切使わない建築方法で腕のいい大工だったと周りからも聞いている。

今でも爺さんが建てた家が残っており、先日の震度7を2回記録した熊本地震にも耐え、実際にまだ住んでいらっしゃる方もいらっしゃるほど・・・

 

そして終戦直後、そんな大工の腕をアメリカ軍にかわれて、国内で唯一地上戦が行われた沖縄へ米軍の駐屯地を建設するために行っていた。

 

職人で超がつくほどの頑固者だけど、面白い性格でもありアメリカ軍の兵士とすぐ仲良くなって、米兵と肩を組んで楽しそうに笑っている写真が今でも残っている!!

 

当時アメリカ軍の兵士と色々話していたみたいで、特に戦時中に日本の特攻隊がアメリカ軍にとって物凄い脅威だった事や、自分の身を捨てて突撃する日本兵は死ぬのが怖くないのか?と、アメリカ兵によく聞かれたと言っていた。

 

カタコトではあるが、そんな話をアメリカ兵と話すぐらいの英語は話せて、アメリカ軍の兵士が、自分のことを『ジャパニーズ カーペンター』『ミスター〇〇(爺さんの名前)!!』と呼んでくれていたと自慢げによく語っていた・・・(笑)

 

当時の沖縄はアメリカの統治下にあり、特に終戦直後の沖縄なのでアメリカ兵の日本人に対する扱いがまだ敵国としての扱いで、日本人に対してミスターをつけて名前で呼ぶことがない時期に、爺さんに対してだけはアメリカ兵がリスペクトした呼び方をしてくれたみたいで、アメリカ軍人だけに配られるウイスキーやタバコの嗜好品を、爺さんだけは日本人なのにもらうことができたと言っていた・・・

 

では、なぜ敵国の兵士であった爺さんを、アメリカ兵がそんなにリスペクトしてくれていたのかというと・・・

 

爺さんは大工の頭領だったこともあり、熊本弁で言うと”モッコス”、標準語で言うと頑固者になるのだけど、とにかく曲がったことが大っ嫌いで、一度言い出したら例え相手がどんな立場にある人であろうと絶対にそれを曲げない!!

 

そんな性格は、当時アメリカ軍兵士に対しても同じで、爺さんは『できないことはできない!!』と、はっきりと言っていたらしい・・・

当時、極めて立場的に弱い日本人・・・

立場が弱いと言うよりは、絶対服従しないと反逆者としての扱いを受けていたような時代・・・

 

そんな時代に、アメリカ兵に対してそんな事を言って怖くなかったか?と、聞いた事があるけど、爺さんは『間違ってない事を言うのに、なんで怖がる必要があるか?』と、逆に私に聞き返して来たことを今でも鮮明に覚えている。

 

そして、爺さんが『日本人だろうが外国人だろうが、ちゃんと伝えれば相手もちゃんとわかってくれる。』『だから〇〇(私)も、相手がどんな人であろうと違うものは違うと、はっきり言える人間になれ!!』『正々堂々ときちんと相手に伝えれば、相手がどんな相手であろうと伝わるし、それがもし伝わらないなら情を捨て、その人間との縁をすぐに切れ!!』と・・・

 

そんな毅然とした態度で臨んだので、アメリカ兵に受け入れてもらったのではないかと、爺さんが言っていた・・・

 

私の両親が共働きであり、幼い頃から爺さんと婆さんに育てられた私は、爺さんのそんな教えの元で育てられた・・・

 

その影響なのか・・・

過去にこのブログにも書き残しているが、学生時代から先生などに対しても、あまりにも理不尽さを感じる時は、はっきりと意見を言っていた。

社会人になってからすぐの若い頃も、上司などに対して違うものは違うと沢山言った。

 

そのことで、自分自身が損をしてきた事も・・・

遠回りをしてきたことも・・・

自分の事なので自分が一番わかっている。

 

しかし、そんな遠回りや損をする事を十分わかっておきながら・・・

なぜ同じ事を我が子達に言うのか・・・?

 

その理由は・・・

 

自分の経験から・・・

損をして遠回りをする生き方を社会で続けるには限界があり、社会では通用しない事に気づいた。

しかし・・・

それと同時に、子供時代や若かりし頃から要領だけで生きる事を覚えると、人としての幅が狭い人間になることも学んだ・・・

 

だから、我が子には・・・

学生時代や若かりし頃には、損をしたり遠回りすることがわかっていても、私が爺さんに教えてもらった『相手がどんな立場の人間であっても、違うものは違うと堂々と言える人になれ!!』と、伝えてきた!!

 

その事で、特に巧大は沢山の損をしてきたことも、遠回りをしてきたことも私は知っている・・・

 

しかし・・・

私は巧大に対してこれまで言ってきた事を、訂正するつもりもないし曲げるつもりも全くない・・・

 

なぜなら・・・

巧大だけではなく、我が子3人とも薄っぺらい人間になってほしくないから・・・

 

 

 

これから先、社会に出れば白か黒よりもグレーの範囲が広くなる・・・

そのグレーの部分の厚みや懐の大きさは、幼少時代から若かりし頃に遠回りをして損をしてきた量によって大きさが変わってくる・・・

 

そのグレーの幅が人としての厚みや懐の大きさだと思う・・・

 

これから先は、これまでは通用してきた言い訳やハッタリが、まるで通用しなくなる・・・

 

人としての厚みや懐の大きさを、どんなに誤魔化そうとしてもバレてしまうし、周りはその事をいちいち本人に対して指摘はしない・・・

社会はそんなに優しくはないし甘くない・・・

 

それが周りから見た自分の価値になってしまう・・・

 

爺さんが私に伝えたかった事は、この事だと47歳になった今になってわかった様な気がする・・・

 

言葉で全て伝えるのではなく・・・

実際に自分で経験しないと学べない事がある・・・

 

爺さんが亡くなって15年過という月日が流れたが、肉体は滅びてもその生き様はまだ生きているということか・・・

 

我が子達が親となった時に・・・

きちんと自分の子供達に伝えることができる様に、これからも私がきちんと我が子に爺さんの生き様を伝えなければならない・・・