観る力・・・
大会を終えた巧大が昨日帰宅した・・・
そして帰宅した巧大に体の異変が・・・
その異変とは背中に帯状発疹らしき症状!!
発疹の部分がピリピリして痛むと言っていたし、症状が酷似しているので恐らく帯状発疹で間違いないと思っていたが、今日受診し結果はやはりそうだった・・・
帯状発疹の原因はもともと体の中に持っているウイルス(水痘と同じ)が、ストレスや過労によって体の抵抗力が弱まり症状が現れる・・・
えっ?
巧大にストレスや過労なんてあるの?(笑)
まあ・・・
3日間の短い期間の大会遠征だったが、あいつなりにキャプテンとしての責任と、選手として結果を出さなくてはというプレッシャーがあったのだろう・・・
しかし、本人は皮膚の痛みぐらいでケロッとしていて、夜に大会の詳細を色々と話してくれた。
その話の内容の中にある共通点を見つけたので、今日はその共通点を書き残しておく・・・
私が、昨日ブログに書いた一塁後方へフラフラっと上がった打球を捕球した時の事を、「あれよくとったな・・・、一歩目が早かったって周りも言ってたぞ・・・」と、本人にいうと・・・
本人が
「早いもなんもバッターの振りを見て、フライだったらあそこ(捕球した場所)に飛ぶって思っとったけん、一歩目が早い様に見えたんじゃない?」と言っていた。
そして・・・
バッティングについては、相手の先発投手がなかなかいいピッチャーだったので、1打席目は自分の結果なんかどうでもよく、自分の仕事は相手先発投手の球筋と球種を見て攻略方法を見つけることに集中したと言っていた。
その巧大が言ったことを裏付ける出来事を長女が覚えていた・・・
私たちはベンチのすぐ上で試合を見ており、ベンチ内での選手達の状況がわかる位置にいた。
長女が巧大が1打席目に三振して、ベンチに帰ってくると巧大が選手に集合をかけて、何かの指示を出していたと記憶していた・・・
巧大がその時の指示について、あの時は相手投手のボールがナチュラルに右打者のインコースに差し込みながらホップしてくるくせ球だったので、バッターボックスの一番前に立ちボールが曲がる前を叩く様に指示を出したと言っていた・・・
確かに・・・
その後、味方打線にヒットが出るようになり得点にも繋がった!!
そして、3打席目・・・
ライト線へのヒットを放ったが、この3打席目は相手バッテリーの配球を完全に読み切った上でのヒットだったと言っていた・・・
そして4打席目・・・
この日巧大は2番に座っていた・・・
この回は1番からの攻撃で絶好のチャンスだったが、残念ながら1番バッターがアウトになり1死ランナー無しとなった。
すると!!突然ベンチから監督が出てきてピッチャー交代が告げられた・・・
その時の事を巧大が・・・
前の打席でヒットを打った時に、俺に配球を読まれている事にベンチが気づいていて、そのタイミングで相手ベンチが動いたんだろうと言っていた。
しかし・・・
巧大にとっては受けるキャッチャーは同じであり、リードの傾向はわかっていたので、投手が交代してもほぼ自分の読み通りだったらしく、動画で確認してもこの打席の巧大は誘い玉などにピクリともしない・・・
相手バッテリーにとっては、自分達の思い通りにいかない・・・
結果はセンターフライでアウトになったが、その時に打球を芯で捉えていたので打った瞬間に相手投手が首をかしげていた・・・
わかり辛いが、その時の画像がこれ・・・
動画で見ればわかりやすいが、打球を一度確認し討ち取ったと思われる打球であっても投手は首を傾げた・・・
ここで・・・
話を戻す・・・
今書いた部分は試合の中の一部に過ぎないが、他の出来事を含め沢山の出来事に共通しているのは、巧大の”読み”である・・・
この読みを掘り下げると、『予想』だったり『予測』になると思う・・・
この二つの言葉だが、似ているようで別の意味がある・・・
『予想』とは予め先のことを思うことで、『予測』は予め先々成り行きや結果を量りにかける事・・・
このどちらかが正解で間違いであるという事ではなく、双方とも必要であるという事を書いておきたい・・・
巧大がやっていることは・・・
まず”主観的”な目でゲームに勝つための”予想”をし、その”予想”を元に”客観的”にデータやこれまでの自分の経験などの根拠を基に『予測』を行う・・・
野球はよく確率のスポーツだと言われるが、逆にいうと確率に頼らなければならないほど、色んな意味で幅広いスポーツだと言える・・・
その幅広いが故に選択肢を絞らなければゲームに負けてしまうという、物凄く難しいスポーツだと言えると思う・・・
しかし・・・
今まで散々予想や予測が大事だと書いておきながら、今度は全く相反することを書くが、その根拠ある確率だけでゲームに勝てるものではないのも野球なのである。
その根拠あるデータや経験をもとに割り出した予測に、ゲームの流れや空気感などの根拠で表すことができない、感覚的な部分も踏まえてプレーしなければならない・・・
予想や予測・・・
そして、根拠に表せない感覚・・・
そのいずれにも必要なものは洞察力であったり感受性である・・・
洞察力は肉眼で見なければならない・・・
感受性に関しては心眼で見なければならない・・・
これまたこの二つに共通しているのは”みる”という事・・・
しかし、この”みる”ということは、野球の場合”見る”ではなく”観る”なのだ!!
相手を見極めるためには、物事を受動的に”見る”のではなく、意識を持って能動的に物事”観な”ければ予想や予測はできない・・・
この”観る”ことができるようになるには、日頃から”観る”癖をつけなければならない・・・
日頃の練習でただやれと言われたことをただやるのではなく、その練習の意味や奥行きなど立体的な視点で練習に取り組まなければならないと思う・・・
この日頃の積み重ねが、後々大きな差となって現れてくるのだと思う・・・
決して・・・
うちの巧大が、これまでそんな視点で練習に取り組んでいたとは言えないが、一つ言える事は学童野球から高校野球まで、常にどうやったら自分が生き残れるのかを考えて野球をやっていた事である。
この環境は・・・
野生動物と人間に飼い慣らされた動物の違いの様なもので、巧大が生きていくには自分で獲物を捉え、自分の身は自分で守るしかないため、野球選手として生き残るための知恵が備わったのだと思う・・・
自分より大きく強いもの達に立ち向かう為の知恵・・・
それが”観る”力を産み・・・
少しの環境の変化やその場の空気感を察知する力である感受性が強くなり、感覚的部分などの根拠づけが難しい部分も研ぎ澄まされたのだと思う・・・
あらゆる可能性の中から予想し根拠ある予測して、さらにその場の状況や空気感を察知して備える事の大切さを改めて強く感じた出来事であった・・・
この部分は、巧大にとって野球選手として生き残る為の生命線なのである・・・