我が人生の分岐点
二週間ほど前の週末・・・
定期点検の為カーディーラーに車を入庫し、点検に時間もかかるしこのご時世なので蜜を避けるために、その待ち時間を利用して最近調子が悪くなっていた自宅の無線Wi-Fiを買い替えるため家電量販店へ向かう事にした・・・
車を入庫したトヨタのディーラーがある場所から、車で5分程のところに家電量販店があるが、私が向かったのは同じ販売会社だがそこから30分ほど車を走らせた別の店舗・・・
そこには私が高校生だった頃のハンドボール部の同級生が勤務しており、気兼ねなくなんでも尋ねる事ができるので、家電製品が必要な時は少々遠くてもこの同級生がいる店舗へ自然と足が向いてしまう・・・
そんな経緯でディーラーから家電量販店へ向かっている途中・・・
これまた別の高校時代の親友の家の前を通った・・・
親友の家の前を通ったと言っても・・・
以前ブログにも書いたけど、その親友は4年ほど前に亡くなり今はこの世にいない・・・
その親友を一言で言ってしまうと、とてもヤンチャだった・・・
ヤンチャ過ぎて高校一年生の時に無免許で750ccのバイクを運転し、事故を起こし退学処分となったため、事実上彼とは一年ほどしか学校生活を送っていない・・・
私は田舎に生まれの田舎育ち・・・
幼稚園から中学までずっと一緒という仲間が沢山いたし、中学になって町内の5つの小学校が一緒になるのだが、それでも一学年が150人ほどしかいない・・・
そんな環境で育った私が一学年500人ほどいて、全校生徒が1500人もいる市内の高校へ行くことになり、初めて顔を合わせる入学式に行くと、あまりにも世界観が違いすぎて当時の私からすると、まるで外国に留学したかの様だった・・・
同じ中学から一緒の高校へ進学したものは一人もおらずひとりぼっち・・・
当時強がってはいたが、内心では超心細かった・・・
すると・・・
入学当初は名簿順で席に座っており、いかにも都会で育ちました!!という雰囲気の奴が私の席の前にいて、そいつはサラサラ髪に顔もシュッとしていて、女子にモテるんだろうなって奴が後ろを向いて私に喋りかけてきた・・・
そいつは私の読み通り県内屈指の繁華街の外れに住まいがあり、親父さんとお袋さんが寿司屋を経営し、カエルとコウロギが苦手だという私と正反対のバリバリの都会っ子だった・・・(笑)
それからというもの・・・
今でも考えがチャラくて、ムカつく事があるが親友として仲良くしている!!(爆笑)
そして亡くなった親友も同じクラスだったが、こいつ入学式当日からいきなりスキンヘッドだった!!(笑)
五厘刈りとかであれば野球部か剣道部と思うのだが、坊主頭ではなく髪を全剃りしていた・・・
顔は今でいうハーフ顔の超イケメンで、色が真っ白で純粋な日本人ではないんじゃないかと勘違いする程で、当時アメリカの俳優であるミッキーロークに似ているとよく言われるほど良い顔立ちをしていた・・・(笑)
私はこれはやばい奴だと思って話かけれなかったし、そいつだけではなく工業高校で一応共学とはなっていたけど、ほぼ男子校だったのでビーバップハイスクールの様な奴ばかりだった!!(笑)
そんな中・・・
最初に仲良くなったチャラ男と今私が住んでいる家を建てくれた親友と3人で、学校から帰っていたら、そのチャラ男が「ちょっと付き合ってよ!!」と言うので、ついていったら小さいながらにも繁盛してそうな弁当屋に到着した・・・
弁当でも買うのかな?と思っていたら・・・
玄関先に出てきたのがあのスキンヘッド男だった!!(笑)
これは一番やばい奴のところにきてしまったと思っていると・・・
家の中へ通されスキンヘッド男の部屋へ・・・(笑)
もう、とっくに時効なので書けるが、当時まだ高校生であったが急にポケットから大人の嗜好品を出してきて当たり前の様に「はいっ」と!!(爆笑)
私も当時その嗜好品を少々嗜んでいたのでありがたく頂き、それがきっかけで仲良し4人組となった!!(笑)
そして前に書いたように、スキンヘッド男が退学処分となった後も4人の付き合いが続き、遊びに行くたびにおっちゃんとおばちゃんが、私が気を遣うと思って『残り物だけど』と言って商品の弁当を食べさせてくれた・・・
それからもお互いに色々ありながらも仲良くしていたが、先ほど書いた様に4年ほど前にスキンヘッド男はこの世を去った・・・
ここで話を戻すが・・・
カーディーラーから家電量販店に向かう途中・・・
4人にとって青春時代の思い出が沢山詰まった小さな弁当屋があるはずの場所に、その姿がなく更地となっていた・・・
そこを通り過ぎる僅かな時間に、何年分にも及ぶ思い出が瞬間的にたくさん蘇ってきた・・・
しかし・・・
そこはすでに更地という現実があった・・・
私達4人が過ごした青春の証が無くなった様でとても寂しかった・・・
そして・・・
青春の証が無くなったのは小さな弁当屋だけではなく・・・
チャラ男のおやっさんとお袋さんが営んでいた寿司屋も土地開発によって無くなってしまった・・・
私が高校時代に遊びに行くと・・・
スキンヘッド男のおっちゃんとおばちゃんと同じように、遠慮する私に気を使わせないようにと、いつも『残りものだけど』と言ってうまい寿司を握ってくれていた・・・
私は、きちんとした恩返しが出来ないまま2軒の店は無くなってしまった・・・
この事をとても強く後悔している・・・
そんな恩返しをする相手と青春時代を過ごした場所を無くしてしまった・・・
そんな出来事を通して私はつくづく思う・・・
人生において・・・
若い頃は、新しく得るものと失うものを差し引いたら、得るものの方が断然多かった・・・
しかし・・・
歳を重ねるにつれ、次第に新しく得るものと失うものを差し引いた時に残る量が拮抗してきて、とうとう現在並んでしまった様に感じてしまう・・・
それは、私自身の人生だけではなく・・・
親としての立場においても同じ・・・
巧大が生まれ・・・
やがて、すずかが生まれ・・・
そして、光記が生まれて・・・
一人増え・・・
二人増え・・・
そして、成長と共に学校生活や野球生活を通して、子供を通じてどんどん得るものが多くプラスの部分が増えていった・・・
しかし・・・
子供達が成長し、今年一気に長男と長女が現役を退き、来年春から自分の足で歩き出す・・・
二人は親の手から離れていく・・・
自分自身の人生においても・・・
親としての自分立場においても・・・
これまでのプラスからマイナスに転じる時期が今だと実感した・・・
これから先は・・・
失っていく事の方が多くなる・・・
これは物理的に時間が進む以上避けることが出来ない事である・・・
今、私はその分岐点にいる・・・
人間社会というものは・・・
思い通りにいくことよりも、思い通りにいかないことの方が圧倒的に多い・・・
離れていくものと離したくないものが、自分の思い通りにいかないのが人間社会の現実である・・・
だからこそ、分岐点に差し掛かった今のこの時間が大切なのではないかと強く思う・・・
今回そんな事を思うきっかけとなったのは、亡くなったスキンヘッド男の〇永だった・・・
この◯永が、あの世から『お前!!今人生の分岐点にいる事をいい加減に気づけよ!!』と言っている様な気がする・・・
高校入学当初・・・
心細い私に光をくれたように、人生の折り返し地点を迎えた私にまた新たな光を与えてくれているのだと思う。
◯永も思い出の場所も形が無くなってしまったが、心はずっとあの時のまま繋がっている・・・
寂しいようで嬉しいという、なんとも複雑な気持ちだが・・・
時が経過している以上仕方ない・・・
これから先・・・
例え失うものが多くなったとしても・・・
ただ一歩ずつ前へ前へ・・・
前つんのめりになっても前に進むしかない・・・
その中で・・・
失うものを必死に掴み離さないようにするのではなく、自分の手元から離れていくものは今後の私の人生において失うべきものであり、結果それがプラスに転じていくのだと解釈し時の流れに任せるという懐の大きさが必要だと感じている・・・
この境地に達する事ができるのも・・・
◯永のお陰かな・・・
◯永!!
生きている時に悪いことばっかりしてたんでっ!!
その分成仏するまでに多分時間がかかると思うからっ!!
今回!!俺のお陰でっ!!
いい供養になっただろっ!!(笑)
感謝しろよっ!!(笑)
合唱・・・