おもやい・・・

14日の震度7から、早いのか遅いのかすらわからず・・・
今日の日付が何日で、何曜日なのかもわからなくなるほど、訳がわからない毎日が続いている・・・

私が知っている近所だけでも、被災した自宅を離れ、すでに引越しを済ませた家が3件ほどある・・・

やっと、ライフラインの一つである水道が、土曜日に復旧した・・・
うちの自宅を建てた高校の同級生のはからいで、町水復旧と同時に配管工の業者を入れてくれて、引き込み水道管の断絶した給水・排水管を繋げてくれて、我が家に3週間ぶりに水が戻ってきた・・・

復旧するまでは、水道が復旧したらさぞかし嬉しいだろうと思っていたが、共にうちのカーポートで被災生活を送っている近隣の人たちの水道が、引き込み部分の水道管が断絶しているため復旧せず、全く自分の家が復旧しても嬉しくなかった・・・

そこで、ダメ元でうちに来てくれていた配管工の源さんに、近隣の配管も見てくれないかとお願いすると、笑顔で「よかですよ!!」と二つ返事で見てくれた・・・

それで見事、避難生活を送る家庭みんなの家が、同日中に水道復旧した!!
源さんへの感謝の気持ちで、近隣の人たちが本気で涙を流して喜び、感謝の気持ちを源さんに伝えていた・・・

よくよく聞いてみると、なんと水道屋の源さんも、私と同じ高校の1つ後輩だった!!
同じ高校のOBとして、本当に源さんを誇りに思った・・・

東日本大震災の時に「絆」という言葉が盛んに言われていたけど、その理由がこんな大災害を実際に経験するとよく理解できた・・・

人間の助け合い・・・
日本人の絆というものは、本当にすばらしい・・・

その絆について、うちの巧大も良い勉強になったと思う・・・

そう思った出来事として・・・
チームは震災後1週間で活動再開していたけど、震源地に極めて近い我が町は、物凄い大混乱で、何をどう説明して良いかわからないほどの状況だったので、巧大はチーム合流することができなかった・・・

チームに合流するにも、途中に隣町の壊滅的な被害を受けていた益城町を、通らなくてはいけないため、野球参加を見合わせていた・・・

しかし、練習試合や遠征が入ってきたので、そのスケジュールを巧大に伝えると、本人が「不参加でいい・・・」といってきた・・・

何か様子がおかしかったので、何も言わず少し様子を見ていると、しばらく時間が経ってから「遠征費はお金がかかるけん、俺参加せんでよかけん・・・」といったので、そこで不参加の理由がわかった・・・

どうしても、避難生活を送っていると、被災者同士の現実的な、これから先の金銭面の話がたくさん出てくるのを、本人が聞いていて、その金額の桁が違うので、金銭面を気にしていたみたいだった・・・

どうりで、引越しが必要なのかや、建て替えが必要か・・・
修理にどれだけかかるかなどを、巧大が聞いてくるなと思っていた・・・

あの性格の巧大が、そこまでそんなことを気にするぐらいなので、表面上は気丈に振る舞っていても、相当心の中にストレスを抱えているのがわかったので、金銭面は全く気にしなくていいから、野球に参加するように伝え、ゴールデンウィークから巧大だけを参加させた・・・

練習試合が続いていたが、巧大が地震のことや、家の復興のことなどを、少しでも忘れればいいと思った・・・

練習試合から自宅に帰ると、たくさんの近所の人たちが、カーポートの下に集まって巧大の帰りを待っていた。

「今日はドギャンだったや!!」とか・・・
「今日はヒット打ったつか?」など・・・

巧大の試合内容などを聞いてきて、巧大自身も・・・
「今日は、ヒット2本打ったです!!」や・・・
「今日は守備が良かったです!!」など・・・
嬉しそうに答えていた・・・

そうすると、うちに集まっている人達が、とにかく喜んでくれる・・・(笑)

それがやがて、本人のモチベーションになったみたいで、”先が見えない被災者の人たちに、自分の結果を喜んでもらいたい・・・”みたいな気持ちに、巧大がなっているように、私の目には映った・・・

そして、ある近所のおじちゃんが・・・
「うちの外れたサッシをはめるときに、重いサッシを巧大が一生懸命抱えてくれたことは、絶対忘れんぞ!!」
「だけん、お前が高校に行って藤崎台や甲子園に行った時は、絶対応援にいくけんね!!」
と、言ってくれていた・・・

すると・・・
その場に集まった人たちが、口々に・・・
ある人は「うちは、水を巧大が運んでくれた」

またある人は「うちは、不審者みたいな人間がいると言ったら、金属バット持って走って様子を見に行ってくれた」

またまたある人は「うちは、余震で一人で自宅に入るのが怖いと言ったら、ついてきてくれた」

隣のおばちゃんは「うちは、支援物資を取りに行ってくれた」
など、私が知らない巧大の出来事だらけだった・・・

正直、そんなことをするやつだとは、巧大のことを思っていなかった・・・

そして、近所の人たちが、
「みんなで、巧大ば応援に行くぞ!!」と言ってくれた・・・
「御船台団地、熊本地震被災者の会応援団ば作って、みんなで応援に行くけん、高校で野球ば頑張れよ!!」と言ってくれていた・・・

つい1ヶ月前までは、挨拶程度だった人たちが、この地震で一つになって、極限に追い込まれた状態の中でも、数少ない喜びとして、他人の息子の野球の結果を楽しみにして、帰りを待ってくれている・・・

そして、将来を応援してくれる・・・
こんなことは、地震がなければなかったこと・・・

そして、巧大にとってもこの地震が来なければ、地域のために貢献することもなかっただろうし、自分のためだけではなく、人のために無償で貢献することで、人間同士の強い絆が強まり、その結果自分の心の中がどう変化したか・・・

そんな出来事によって、たかが中学生であるかもしれないけど、そのたかが中学生でも、周りの人の手助けも出来るし、周りの人たちもたかが中学生を、一人の人間としてみてくれる・・・

正直言って・・・
昨日、私の高校の同級生が来て、詳細に自宅の状況を調べてくれたけど、数百万円という被害が出てしまった・・・

それでも、もとどおりには戻らないと言ってた・・・

しかし、たとえ数百万円という代償はあったかもしれないけど、その代償額でも手に入れることができないほどの、とてつもなく大きなものを、巧大だけではなく私の家族みんな得ることができたと思う。

今回の熊本地震がうちの家族に伝えるものとは・・・
「震災」ではなく、「心災」だったのではないかと思う・・・

次々と欲をかき、平凡な生活への感謝の気持ちがなくなっていた・・・

私たち家族の中でも、特に巧大と朱杜花にとっては、将来の人間形成において、とてつもなく大きな学習ができたと思う・・・

地域の人たちと助け合っていた時に、周りの人たちが口々に、合言葉のように言っていた・・・

「コギャンときは、おもやいだけんね・・・」という言葉・・・

この「おもやい」とは・・・
「困った時は、お互い様・・・」という意味です・・・

こんな素晴らしい、生まれ育った地元御船町の言葉や気持ちを、子供達にはこれからもずっと、大切にして欲しいと思う・・・

痛みや苦しみ・・・
反対に、幸せや喜び・・・

お互いに分け合う・・・
「おもやい」
の心を絶対に忘れないように・・・

そして、今後は「おもやい」の気持ちで野球に頑張ってほしい・・・

これからやっと、私たち家族の復興が始まります。
今の時点で、やっとライフラインが整った段階なので、これから掃除や後片付けを本格的にできるようになります・・・
それから、保険の手続きや行政からの復興支援の手続き・・・
その後に、倒れた擁壁や傾いた家の修復をどうするか・・・
その後にやっと、家の修復に着工できるようになり、その期間中は恐らく引越しをして、自宅とは別の場所に暮らさなければいけなくなるでしょう・・・

そんな、環境が整わない逆境の中でも、明るく元気に野球を続けて欲しいと思います。

私はおそらく、卒団までの期間に、ゆっくりと巧大の野球をやっている姿を、見ることはできないと思いますが、あとわずかの卒団までの期間応援しています!!

そして、被災した熊本の皆さん!!

きつかばってん!!
ここはいっちょ!!
復興に向けて、はまりまっしょい!!

がまだしよると・・・
シャバはどぎゃんかなるですばいっ!!