未来

俺の解釈でいくと、野球の神様は努力をすれば、結果というご褒美をくれるものだと思っていた・・・

しかし、先輩曰く・・・
「野球の神様は、努力をした見返りに、新たな試練というご褒美をくれる・・・」
と言った・・・

何気ない電話での会話の中で、オリンピックの話になり、その延長線上での話で、やっぱり野球の話になり・・・

「努力をすれば結果はついてきますよね・・・?」と、俺が言った何気ない一言に対しての返答が、その答えだった・・・

そして、続いて出てきた言葉は・・・
「結果は、野球の神様が出すのではなく、あくまでも自分が出すものだ!!」という、実にシビアな言葉・・・

そこで大事なのは、”試練の乗り越え方”が最も大事になると言っていた・・・
これから先、上のカテゴリーに行けば親の手が及ばない世界・・・

自分で、試練に立ち向かわなければいけない・・・

そこで・・・
また、俺の悪い癖が出て・・・(笑)
そんなことを考えて、自分なりに掘り下げてみると・・・

”試練”とは何か・・・?
辞書によると「決心の硬さや、実力を試す時に生じる、苦難のこと」とある。

”試す”ということは何なのか・・・?
辞書によると「物事の良否、真偽や能力の程度などを実際に調べ、確かめる、試みること」とある。

では、”練る”ということはどういうことなのか・・・?
辞書によると「学問や技芸などを、鍛え磨く・・・修養・経験などを積むこと」とある・・・

となると、今度は”練習”とは学問や技芸などを、鍛え磨く・・・修養・経験などの”積み方を習う”機会となる・・・

となれば・・・
試練=練習
は成り立たない・・・
練習とは、試練のやり方を教える機会となる・・・

ここでつながった・・・
ある方が巧大に向かって、いつも言っている「自分を追い込むのは、自分ぞっ!!」という言葉・・・
練習自体が自分を追い込むのではなく、練習とは手段であり、その手段を使って自分が自分を追い込まないと、試練にはならないということ・・・

そんな試練を結果的にまとめれば、極めようとすることを、鍛えたり経験を積み、それがどの程度極められたかを確認することを”試練”というらしい・・・

その行為が、未来のことであり、成功するのか失敗に終わるのかという、不安があるため、先を読めない人間は、それを”苦難”だと感じていること・・・

いわゆる・・・
試練=チャレンジ

チャレンジする上で、人間の心理としてチャレンジして、失敗したくないという心理が働く・・・

そうすると、失敗しないようにと、前もって練習を繰り返すようになる。
その行為を努力という・・・

その努力を繰り返し、失敗や成功を繰り返しているうちに、チャレンジ=試練をものにできるようになり、結果を出せるようになる・・・

結果を出すと、人間というものは欲深いもので、次のステージのものが欲しくなる・・・

そこからまた、試練=チャレンジが始まる・・・
まさにこのスパイラルが進歩となる。

先のことが、全く予知できない人間にとって、最大の不安要素である未来・・・
そして反対に、大きな夢や希望を持てる世界なのもこれまた未来・・・

不安ながらにも、夢や希望を持って未来へ進むことこそが、まさに試練ではないかと思う・・・

そう・・・
野球の神様の正体は・・・
「未来」ではないかと思う・・・

この未来には、当然まだ結果がない・・・

野球の神様が、未来という可能性をプレゼントしてくれる・・・
その未来には、どうなるかわからないという不安がある・・・
不安であるからこそ、結果を残そうと努力を続ける・・・
努力しているうちに、チャレンジしたくなる・・・
そのチャレンジに成功すれば、結果が残る・・・

結果が残れば、次の未来を人間は目指す・・・

ということは、未来に夢や希望を持ち続け、野球を続けることこそが、最も大事であることだと思う。

未来を信じることが、野球の神様を信じること・・・

未来に向かって、前へ前へ・・・
後ろ向きに倒れず、前つんのめりに倒れれば、必ず野球の神様は未来というご褒美をくれる・・・

それが・・・
進歩よ巧大・・・