一人一人が放つ色

久々に先輩から電話かかってきた。
長男が、この春から高校に進学してどんな様子か?という内容と、光記についてこの前記事にした「光記に寄り添う野球」についてだった。

前にも書いたけど、この先輩は長男の時からお世話になっている人で、高校野球経験者としての立場からも、野球選手を育てた父親としての経験からも、いろんなアドバイスをくれる人・・・

昨日、その先輩が・・・
長男で得た知識を積み上げたピラミッドを一旦フラットに戻し、まずそのパーツを整理して、劣化したパーツや時代遅れになったパーツを精査して、処分するものは処分し、光記に必要なものだけにして、処分したパーツを不足とは考えずに、キャパを新たに広げたと考え、そこに新しい知識のパーツを持ってきて、それを使って光記オリジナルのピラミッドを作り上げていくことが必要だと言っていた・・・

残さなければいけないパーツなのか、捨てるべきパーツなのか・・・?
新しいパーツとして、取り入れるべきか取り入れないべきか・・・?
そして、そのパーツをいつ組み上げるのか・・・?

まだ小さく、そんな判断ができない光記に寄り添い、一緒になって判断していかなければいけないと・・・

その時に一番勘違いしてはいけないのは、光記は光記で、長男は長男として考えること・・・

長男には必要なパーツであったかもしれないけど、もしかしたら光記には不必要なものかもしれない・・・
反対に長男には不必要であっても、光記には必要なものもあると・・・

まとめて言えば、兄弟をひとくくりに見てもいけないし、二人を比べてもいけないんだと・・・
これをやってしまえば、絶対に光記は野球が嫌になり、やめてしまうと言われた・・・

あくまでも、これから先は光記オリジナルのピラミッドを、新たに構築しなければいけないと・・・

「どんなに小さくても、子供ながらに野球選手としてのプライドがある・・・」

「その子供ながらのプライドというものは、野球が上手いとか下手だとかではなく、自分は野球が大好きで、その野球をやっているというプライドなんだ・・・」

「そんな子供が野球を辞めたいという時は、野球選手としての自分の存在自体を否定された時なんだ・・・」
「上手いとか下手とかじゃない・・・」
「歳はまだ5歳とはいえ、これからは野球をやっている一人の野球選手として、光記に寄り添え・・・」と、先輩が言った・・・

俺の中でピンと来た・・・
それは、長男の時の苦い経験があるから・・・
いろんな意味で、先輩が言わんとしていることがわかった・・・

これは別の方から言われたことだけど、”親は環境であり野球をやっているのは本人”・・・
親の役割は、自分の子供を支配することではない・・・
自分の子供を、自分の色に染めるのではなく、子供の色を引き立たせるのが仕事・・・

長男も光記も別の色・・・
そして、俺の色と長男や光記の色も別の色・・・

お互いの色が混ざり合わない、絶妙な距離を保つことを”寄り添う”というのだろう・・・

野球に対してだけではなく、子供だからと安易に思っているのは大人だけ・・・
子供なので言葉にこそしないけど、ある意味子供の目と心は大人よりシビアである・・・

それに耐えきれなくなった時に、子供の心が大人から離れていく・・・
そうなれば悲劇・・・

昨日の先輩とのやりとりで、改めて自分の肝に命じた・・・