両極端気持ち・・・

この前・・・
光記を連れて学童の練習に行った時に、監督が私に「この前練習中に○○(長男)がフラっと来たばい。」と・・・

そして「○○(長男)は練習帰りだったけど、世間話して帰って行ったばい・・・」と言っていた・・・

公私ともに長男を小さい頃から可愛がってくれた監督・・・
長男が野球を始めるきっかけも作ってくれた監督・・・

そんな監督のもとを長男が訪れて、自分の所属していたチームの後輩である学童の選手たちが、一生懸命練習している姿をみると長男も野球の原点に戻れるんじゃないかと思う・・・

そして、それは長男だけではなく私もそう感じる・・・
光記が練習している姿をみていると、こんなに小さい子が熱中する野球というスポーツを愛おしく感じる。

長男の野球で現実を見て来た私からすると、野球というスポーツは半端な覚悟ではやり通せないほど厳しく、色々な意味で辛いことばかりで野球というスポーツの表情は鬼の形相となっていた・・・

そっちに慣れっこになっていて、今度はタイムスリップしたように今度は光記の野球に寄り添うようになると、野球というものは途端にものすごく優しい表情に姿を変える・・・

この両極端の野球を保護者として経験すると、光記にはずっと今のような楽しい野球をしていて欲しいという気持ちと、たとえ辛く厳しくても大きな目標を達成して欲しいという気持ちが私の中で複雑に入り混じる・・・

その2つのどちらを選択するのかはもちろん光記になり、それを見守るだけの親の立場になる私は何もできないので余計にいじらしく感じる・・・

長男の時は、野球の世界は上にいけば上に行くほど厳しい世界だと頭の中ではわかってるものの、実際にその厳しさを経験をしたことがない分誤算だらけ・・・
いわゆる”知らぬが仏”的な部分・・・(笑)

しかし今度はそれを経験している分、光記に対して現実的な目で見る比率がとても多くなってしまう・・・
そうすると光記が野球に対しての夢や希望が失われてしまいそうな気がして・・・

私の中で・・・
長男の時は非現実的野球思想・・・
光記の場合は超現実的野球思想・・・

全くの正反対の両極端的な気持ちだった・・・

しかし・・・
年末と年始の光記の練習するその姿を見た時に、やっとその葛藤から抜け出すことができる光的なものが見えて来た気がする。

それは・・・
幼児ながらにも一生懸命年上の子供達に混じって練習している姿・・・
幼児ながらにも努力をしてできないことができるようになった姿・・・

そんな姿を見ていると、野球というスポーツに対して6歳ながらにもきちんと向き合っている!!
それでいいんじゃないかという事・・・

現実的であろうが非現実的であろうが、光記が向かっていく野球を応援してあげればいいだけの事じゃないかと・・・

やらせる野球ではなく寄り添う野球・・・

長男の時と全く正反対の意味で、またまた見失いかけていたのかなあ~
ワイワイと家族で野球を楽しもう!!